星座 4・ CONSTELLATION 4
石川源晃著
天体が地球上の人間に影響を与えるから、人間の一生も天体を研究すれば
予測できるというのが占星学の基本的な考え方です。古代シュメール人
の文明以来約一万年の歴史の積み重ねを証拠にして現在の占星学が成立しているのです。これに対し、
天体が人間生活に影響を与えているとしても、人間の一生を占うことができるという科学的な証拠が
存在しないという主張もあります。 このような議論と無関係に、現実の毎日の人間生活は不安が一杯なので占いが流行するのです。理屈よりも需要と供給の関係を重視する人々によって今日の占いが成立しているのです。
The basic principle of astrology has been in the human confidence that the life of human would be
predicted by asking an omen that is given by the change of heavenly bodies observed. There are
many reports since the ancient history of human in the so called the evidences on the fit result of
astrological prediction performed. No evidence, however, could be verified by the study of natural
science established. Those studies made by the statistical analysis could not verify a case that was
not accepted by the study of natural science in principle explored.
Disregarding the hot discussion on the dependability of prediction made by the astrology, people are
asking the fears of daily life to the fortune tellers who would only meet of supply and demand encountered.
それでは何時から、占いという言葉が日本で使用されるようになったのでしょうか? 西暦 701年(大宝元年)に、中国大陸の唐(とう)の政治の仕組みを輸入して大宝律令(だいほう・りつりょう)という法律が出来ました。
そのときに、陰陽(うら)という役所ができて、天体異変や社会の事件などを人々に解説して説明する
陰陽博士(うらのかみ)と言う役人が中国大陸の輸入文化の知識で民衆に説明しましたので、「うら」のお告げ
としての占いという言葉ができました。この場合、中国の知識には天体異変も含まれていましたが、自然科学に対する
興味が少ない一般の人々は中国の哲学思想の陰陽(うら)に興味を持って、「うらない」という言葉が流行するようになりました。
おんみょうじ・陰陽師として名高い安倍有季(あべのありすえ)は霊感占い師ですが、公の役目は宮中の広報官です。 西欧の占星学は東洋思想の陰陽(うら)の考えかたと全く関係がないのですが、西洋の占いの一種であると
いうので、1960年ころ(昭和の中期以降)になってから、新しく、人々が占星学という言葉を使用するようになりました。世界で通用しているアストロロジーは星の学問という意味ですが、日本では、学問ではない占いとしての占星という言葉が出来て、学という文字を追加したり、術という文字を追加したのです。
Brief story of the word URANAI in Japan that was originated in 701 AD under the influence of Chinese
culture of the ancient philosophy that was based on the plus and minus elements consisted. Although this
word has no reference to the knowledge of astronomy, however, any type of arts that are related to the fortune telling
technique has been called under the name of URANAI in Japan. Japanese translation word for western astrology
is thus classified under the category of URANAI and many other trial words which were previously given to the
western astrology disappeared. Thus the word indicating one types of URANAI, or the translation word of
SEN-SEI-GAKU is given for the western astrology in nowadays Japan after 1960.
1928年の米国でマスコミに紹介された幸運の星という誕生日占いは、従来のような複雑な計算をしないで、
誕生日の月別で判断をする簡単な占いでしたので、人々に注目されました。 しかし、幸運の星を
星座占いと誤って翻訳をしたために、日本人の読者が星座という言葉を誤解するようになりました。
A newly introduced note on the LUCKY STARS that was released in one of news papers in the U.S.A.
in 1928 was accepted by the most of readers as it was so simple in predicting the fortune without introducing
a complicated mathematical calculation that was required in the conventional astrology studied. Worst
confusion in Japan was introduced as some one has miss translated the LUCKY STARS to be the
fortune telling art predicted the omen taken from the COSTELLATIONAL arrangement involved.
日本で西欧の占星学の一部分が紹介されたのは、今から約千年前の天暦10年(西暦956)に僧日延(にちえん)が
中国大陸・唐の符天暦という十進法の新しい暦を持ち帰ったときであるといいます。都利聿斯経(とりいつし・きょう)
という三蔵法師・玄奘(さんぞうほうし・げんじょう)がインドから持ち帰ったサンスクリト語の原典を一部翻訳
した不完全なもので、誤訳が多いのですが西暦100年ころのトレミーのテロラビブロスの写しであるといいます。
この技術を使用して作成した日本人最古のホロスコープが続(しょく)群書類従(ぐんしょ・るいじゅう)という
文献に記載してあり、十二宮の記載があります。
なお、当時の天体位置は全天を28等分にする月宿による表示で宿曜道(すくようどう)と称しましたが、天文学の星座との関連を示す記載は存在しません。
詳細は次ページ以降の日本の占星学を参照してください。
また、隈本有尚(くまもと・ありまさ)の大正3年(1914)の考星学(こうせいがく)では、12サインを12宮と
翻訳をしていますが星座の用語もなければ占星学という言葉もありません。
We did not find any proper word in translating
CONSTELLATION in astrology either in the oldest book
that was said to be a copy of TETRABIBLOS of PTOLEMY through China main land in 956 by a priest
NICHENN or in the book written by
ARIMASA KUMAMOTO
in 1914 released.